【歌詞解釈】くるり『ばらの花』を200回以上聴いた僕なりの解釈。僕はこんな名曲にもう出会えないかもしれない。

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曲レビュー

今回は、ロックバンド、くるりの名曲「ばらの花」について僕なりの解釈を書きたいと思います。

少なくとも200回以上は聞いています。この曲、約5分なので、5分✖️200回で1000分はこの曲を聞いています。

約16時間ですね、もうすぐ1日です。

それでいて全く飽きません。なぜ飽きないのでしょうか。

それは、この曲は聞くたびにいろんな顔を覗かせるからなんです。

まずは、とにかく聴いてみてください。

くるり – ばらの花

 

この曲、聴いてみてどうでしょうか。

明るい曲なのか、暗い曲なのかなんか曖昧で分からないですよね。

歌詞も見てみましょう。

雨降りの朝で今日も会えないや 何となく

でも少しほっとして 飲み干したジンジャーエール 気が抜けて

安心な僕らは旅に出ようぜ

思い切り泣いたり笑ったりしようぜ

うーん、一見何のことか全くわかりません。明るい歌なのでしょうか、それとも暗い歌なのでしょうか。

歌詞もまた意味が曖昧なのです。「安心な僕ら」ってどういう意味だろう(一番最初に僕が聴いたときは、アフリカの子供たちに比べて僕らは安心なところにいるんだから旅をしようぜって意味かな、なんて思ってました笑)。

ハッキリわかるのはとにかく「旅に出た方がいい」ということだけです。

もっとわかるように書いてくれよって思いますよね。でも、まさにこの曖昧さこそがこの歌の一番の魅力なのです。 

曲の解釈に入る前に、前提として、曲とバンドを軽く紹介いたします。

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ばらの花

「ばらの花」は2001年にリリースされました。

くるりのベストアルバムにも収録されており、くるりファンの間でも人気の高い曲です。

また、奥田民生さんや矢野顕子さんなどがカバーをするなど、多くのアーティストにも支持されている曲です。

最近で言えば、相鉄線都心直通を記念するCMムービー「100 YEARS TRAIN」に起用されたくるり「ばらの花」とサカナクション「ネイティブダンサー」のマッシュアップ曲が、話題となりました。

ばらの花 × ネイティブダンサー

 

これらのことからも時を超えて多くの方に支持されていることがよくわかりますね。

くるりとはどういうバンドなのか

くるりとは、どういうバンドなのでしょうか。

公式ホームページにはこう記載されています。

1996年9月頃、立命館大学(京都市北区)の音楽サークル「ロック・コミューン」にて結成。古今東西さまざまな音楽に影響されながら、旅を続けるロックバンド。

http://www.quruli.net/profile/

「くるりって旅が好きなんだね」って思いますよね。歌詞といいプロフィールといい。 

 

くるりは、現在まで12枚のアルバムを出しています。

これらを聴くと本当に音楽性が様々です。例えばラップを取り入れてみたり、バンドメンバーにトランペットを迎え入れたり、民族楽器を演奏したりと、まさにプロフィールどおりの旅を続けるバンドという感じです。

作詞作曲の岸田繁さんが「ばらの花」について語っていること

僕がたまたまみたNHKの番組でボーカルの岸田さんが「ばらの花」に出てくるジンジャエールについて語っていました。余談ですが、これ別れた彼女の家で観てました。そういう意味でも僕にとっては思い出の曲ですね。

あの曲はまあ、ほんまに朝、雨が降っていて、今日、誰かに会おうと思ってたけど、なんかメンドクサクなって、ホントに、その一番の歌詞そのままの状況で書いてたんですよ。

のど渇いて、買おうとしたのが、たまたまジンジャエールの缶があって、これどんなやったかいなって思って買ってみて、飲んだら思ってた味と違ったんですよね、なんか。「甘っ!」って思って。「甘っ!まずっ!」って思って。想像してた味はもうちょっとビターな、炭酸がバシっと効いてて、なんかその日のこう湿っぽい気持ちをちょっとこう、シュワっとこう飛ばしてくれるような、のを、イメージしてたんですけど。

https://ameblo.jp/pikataa3/entry-11357115033.html

2つの感じ方でこの曲を聞いてみよう

さあ、ようやくこの曲の解釈を書きたいと思います。

僕はこの曲を一言で言い表すなら

旅立ちの曲

だと思います。

おいおい、赤字ででっかく書くなよ、「旅に出ようぜ」って言ってんだからそこは誰でもわかるだろ・・・。

という声が聞こえてきました。でもちょっと待ってください。

旅立ちということは、言い換えれば「出会い」と「別れ」です。

出会いと別れのワクワク感や不安感と寂しさや虚しさが入り混じった混沌とした心のあり様を、どっちつかずの曖昧なメロディと歌詞で絶妙に表現した曲なのです。

僕は、この曲の良さを理解するために、2つの状況を想定して歌詞を吟味することをオススメします。

 

「ばらの花」の味わい方その① 出会い(なかなか踏み出せない片思い)

まずは、出会い編です。

片思いをしている男女を想定しながら歌詞をみていきましょう。

雨降りの朝で今日も会えないや 何となく

でも少しほっとして飲み干したジンジャエール 気が抜けて

会いたいなと思っていたけど、勇気が出せない、会おうと言うか言わないかで迷っている時に

雨が降ってきました。

「あ、雨だから今日は何となく会えないや」

と、雨を理由に自分が会おうと言えなかったことをごまかすのです。

断られて傷つくことがないとなって、安心した時に飲んだジンジャエールは気が抜けていました。

最終バス乗り過ごしてもう君に会えない

あんなに近づいたのに遠くなってゆく

だけどこんなに胸が痛むのは

何の花に例えられましょう

最後に君に会いたいと言えるチャンスまでも逃してしまった。

自分が会いたいと言えばもしかしたら会ってくれていたかもしれないのに、もうそれもできなくなってしまった。

以前はその人に会いたいと言わないことで、傷つかず、ほっと安心していたのに、

今はなぜ安心するのではなくて、胸が痛むのだろうか

安心な僕らは旅に出ようぜ

思いきり泣いたり笑ったりしようぜ

そういう後ろ向きな安心はダメなんだよ

傷ついてもいいから旅(自分の身を守るのではなく、曝け出す)をしようぜ

 

「ばらの花」の味わい方その② 別れ(馴れ合いになってしまった関係を断ち切る)

次は、別れ編です。

もうお互い別れたいなと思っている倦怠期のカップルを想定したらわかりやすいでしょうか。

雨降りの朝で今日も会えないや 何となく

でも少しほっとして飲み干したジンジャエール 気が抜けて

会うのもめんどくさいな

雨でよかった。これで会わなくてもいい理由になる。

安心な僕らは旅に出ようぜ

思いきり泣いたり笑ったりしようぜ

僕らお互い弱虫すぎて 

踏み込めないまま朝を迎える

刺激がなくて、退屈だ。

お互いそういう思いならば、もう別れて新しい出会いを探そうよ。

でも、お互いそれをどちらから切り出すこともできず、退屈なまま時が過ぎていってしまう。

最終バス乗り過ごしてもう君に会えない

あんなに近づいたのに遠くなってゆく

だけどこんなに胸が痛むのは

何の花に例えられましょう

ついに、君と会えなくなってしまった。

それまではずっと退屈で雨が降っただけで会わなくて済むなんて思ってたのに

いざお別れをすると胸が痛んでしまった。

まとめ

いかがだったでしょうか。

出会いの歌、一歩踏み出そうぜ!という前向きな歌である一方で

出会いにつきものである別れへの寂しさを歌った歌であるという

絶妙な歌詞のバランスになってませんでしたか?

これ、どちらか一方だけを当てはめて聞いてみると話が通らないところもあるんです。

そこが、まさに旅立ちの期待感・不安感と寂しさ・虚しさが入り混じった絶妙な心境を表現しているなと。

これが一番最初に書いたこの曲の最大の魅力は「曖昧さ」の所以です。

 

それにしてもそれだけでも意味がよくわからないところもあります。

暗がりを走る 君が見てるから

でもいない君も僕も

これは、何を表しているんでしょうか、

何回聴いても謎は解けないままなのです。

その謎もまた、この曲の魅力ですね。

僕も歳をとってもっといろんな経験をしたらわかる時がくるのでしょうか。

誰か、僕が今回書いた解釈以外にも何か良さそうなものがあれば教えていただけませんでしょうか。

もっともっとこの曲の魅力を引き出してみたいです。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

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